日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(20)~世知辛いスイスの産科~

その日は土曜日でしたが、日本であれば週末でも特に退院を控えている患者がいれば医師の回診が午前中にあると思います。

 

ですので、昨日も午前中に退院言われていたので、医師が午前中に来てくれると思っていました。それでもここはスイス。昼過ぎくらいにはなるかなと覚悟していました。

 

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病院食の朝食

昼過ぎに家族が迎えに来てくれましたが、先生は待てど暮らせど来ず。

たびたび助産師さんは様子をうかがってくれますが…。

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病院の昼食

その日は、主人の上司のお宅でのパーティーに招待されていましたので、私のお産が始まらないなら、そちらに娘と行ってほしかったし、先生はいつ来るのかもわからないので、いったん帰ってもらうことになりました。

 

そして、最終的に医師が来たのは18時半!

もちろん、外来などで忙しかったのと思いますが・・・!

にしても午前退院予定だったのに…。

 

しかも、この時間には、再度張りが強くなってきていて、張ってるときは立てないほどの痛みが戻ってきていました。

 

そのことも訴えましたが、一度退院予定となったからには退院しないといけないみたいで、「退院した方がいいです」と言われました。

LDRに行く基準は満たさないからということです。

ひどい。こんなにおなかが痛いのに、退院しろってか。と思いました。

昼間はもっと痛みが遠のいていて、帰るタイミングはいくらでもあったのに…。

 

でも、主人は上司のところに行ってしまったし、迎えに来るのに時間がかかります。私はというと、断続的におなかが張ってとても痛むので、一人で電車とバスに乗って帰ることができない状況です。

もう少しいてもいいですか、と聞くと助産師さんがOKしてくれました。

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病院の夕食

このころは5月ですので、8時になってもまだまだ明るいです。

8時過ぎごろに主人が迎えに来てくれようやく退院するころには、痛みはこれまでにないくらいでとても移動できる感じではありませんでした。

痛すぎて、自分でお尻を抑えるのにペットボトルをお尻においてギューッと押さえつけて痛みを逃しました。本当につらかった。

 

それでも、ここは外国。何を言っても無駄だと思いましたので、這うように車まで行きました。

たびたび痛みの山が来ては、自分でペットボトルを使って耐えました。

主人も父も、こんな状態で帰るの?と何度も聞いていました。

この時本当につらかった。

 

家に帰って、お風呂に入ると、その間は本当に痛みが少し和らぐようでした。

それにしても、この痛みはどう考えても前駆陣痛ではない、本物の陣痛です。

前回のお産の時と比べても、一番Maxの痛みにかなり近づいています。

 

用意していたバランスボールを使ったり、ペットボトルを使ったり、何とかいきみ逃しをして耐えました。

 

感覚が3~6分程度になりまして、痛みももう耐えきれないくらいになってきました。

少なくとも、これは絶対に前駆陣痛ではないと思いました。

痛みが辛くて辛くて、1秒でも早く麻酔をしてほしいと思いました。

 

CHUVの産科夜間救急に、主人が電話しました。

しかし、もう少し待つようにと…。間隔がバラバラだから、という理由で。

でも3-6分でこの痛みだよ!?と思いました。

もちろん、どのぐらいの痛みかは客観的にわかってもらうのは難しいです。

 

そしてもう少し耐えることに。

1時間半ぐらいたったころに、また出血しました。

しかも比較的大量。

でもこれは異常ではなく、普通に卵膜がずれてきて出血しているのだと思いました。

でも、これを理由に、受け入れてほしいと思い、もう一度電話したところ、「来てください」となりました。

 

主人に車で送って行ってもらう間も、途方もない痛みに耐えました。