日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(27)~産科ICUへ移動~
大きな出血が止まり、一番の危機を脱しましたが、すでにたくさんの血を失った私は、集中治療が必要な状況でした。
足がわの処置もまだまだ続いています。
私自身は、なんだかすごく悪寒がしてきて、異常に感じていました。
助産師さんに言って、布団を首までかけてもらいましたが、それでも全然寒い!
寒くて寒くて、これはどう考えてもおかしいと思い回らない呂律で何度も訴えました。
すると、麻酔科チームの先生が、硬膜外麻酔後の症状として寒気を感じることがあるんですよ、とおっしゃいました。
なんだ、よくあることなのか、と少し安心しました。
しばらく処置が続いた後、現場がずいぶん落ち着いてきたところで、LDRから、産科ICUへ移動すると言われました。
すごく危ない状況ではないですが、大事をとって、しばらくの間ICUで管理しますと。
処置が始まるときに夫と赤ちゃんがLDRから出て行って以降、会えていませんでしたので、赤ちゃんに会いたいと思いました。
すると、ICUで会えますよ、とのことでした。
ICUにベッドごと移動しました。
日本のシステムと同じように、ICUの看護師さんが待ち構えていて、着いてすぐモニターや、T字帯?など、いろいろな処置をしてくださいました。
抗生剤の点滴などの付け替えなどもしていました。
この辺の作業は(当たり前ですが)、日本と同じだなとぼんやり思っていました。
すると、さっきまで寒くて仕方なかったのに、今度は急に、特に下半身が熱くなってきました。
自分の体が、こんなにも熱くなるか!?と思うくらい熱かったです。
でも、きっとこれも、麻酔が薄れていくときに温痛覚の感覚異常を起こしているんだろうな、なんて思っていました。
看護師さんが体温を測ると、40℃近くありました。
自分でも驚きでした。
でも、あれだけの状況のあとですから、不思議ではありません。
悪寒もきっとこのせいだったのですね。
もう抗生剤も入っていますし、特に大きな心配はしませんでした。
一通り、移動後の処置を終えたところで、お産から担当してくださっていたLDR助産師さんとお別れになりました。
私は、「本当にありがとうございました。あなたのおかげで赤ちゃんに会えました。素晴らしい経験でした」と伝えました。
その助産師さんは、私が後産の時に大量出血となって、大変怖い思いをされたと思います。
それが医療者としてすごくわかりますので、ねぎらう意味と感謝の気持ちを込めて、十分にお礼を言いたかったのです。
気づくと、隣のベッドの場所に夫と赤ちゃんが来ていました。
赤ちゃんは落ち着いて、とても元気そうで、本当に嬉しかった。
その日は、産科ICUにはほかに誰も患者さんがいなかったため、特別に外で待っていた私の父と娘も入れてもらえました。
娘にとっては赤ちゃんとの初対面。
どんな風な反応を見せるのか、やや心配にも思っていましたが、赤ちゃんを見て娘はにっこり笑っていました。
それまで、産科病棟の外で娘と父は何時間も待たされていましたので、大変機嫌が悪かったそうですが、赤ちゃんに会えたことで、それも吹き飛んだ様子でした。
赤ちゃんて、みんなを笑顔にする不思議なパワーがありますよね。
日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(26)~さながらリアルER~
足がわで処置、体の右からはエコー、左側では、助産師さんに加えて、麻酔を入れてくれた麻酔科医の先生とその助手らしき人がバイタルチェックや輸液、薬剤投与をしていました。
本当に(医師の私が言うのも変ですが)、リアルERみたい。
一人目でも同じような状況になりました。
その時は自分で自分のモニターを眺め、えらくタキっている(脈拍数が多い;140-160程度だった)のを見て、全然動悸みたいなのは感じないのになあ、なんて思っていました。
今回は、そこまでタキっていない代わりに、収縮期血圧が100を切っていました。
正常血圧の範疇ですが、私は妊娠高血圧でほんの数十分前までは150ほどあったのです。
その変化が大き過ぎたためか、一人目の時にはまったくなかったのに、今回は、なんと、意識がもうろうとしてきました。
そして助産師さんに何かを伝えようと思っても、声が出ないし、呂律も回りません。
これは明らかにおかしい、と自分でも思いました。
それでもまだ出血は止まらない様子で、輸液も全開、スタッフ総出のLDR全体が緊迫していたと思います。
そして担当助産師さんが私の耳元に来て「いまから手術室に行きます」と。
もうろうとした意識の中で、『手術室?ってことは、私は子宮取られるのか』と思いました。
というのも、周産期にに何らかの原因で子宮から大量出血することがありますが、このときにまったく出血が止められない場合は、最悪子宮を摘出するのです。
子宮は命に代えられません。
子宮摘出を回避する場合は、緊急カテーテルでの動脈塞栓ということもあります。
(まだ一人もお子さんがいない場合など)
『私はすでに元気な子供を二人産んだ。きっと迷わず子宮を摘出するんだろうな』と思いました。
大量出血を一刻も早く止めるには、子宮全摘が一番確実で迅速なのですから。
助産師さんたちが移動の準備をしていて、医師たちが必死で血圧を維持しようと処置を進めていたところ、なんとなく、空気が和らいで来ました。
足がわで処置をしていたメインの産科医の先生の処置がうまくいった様子で、子宮内の遺残物がほとんど取れて、出血が止まったみたいでした。
なんとか、手術を回避しました。
みんな安堵の表情となり、そのことを私に説明してくれました。
でも、私は意識がもうろうとしていました。
危機を脱しましたので、スタッフが、ひとり、またひとりと部屋を後にしました。
メインの産科医の先生と、最初からいた助産師さん、麻酔科医チームは最後まで残っていました。
日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(25)~大量出血で緊急コール~
ヘルプの助産師さんが赤ちゃんをすぐに私の胸の上に連れてきてくれました。
明らかに一人目の時より大きい息子。
かわいくてかわいくて。
特に今回は、切れ始めていたとは言え、まだ十分に麻酔が聞いていますので、余裕があります。
主人も立ち会っていましたので、二人で生まれたての赤ちゃんを愛でました。
その間、メインの助産師さんが後産などの処置をしてくれていたと思います。
麻酔が効いているので、何をされているのかはほとんどわかりません。
しばらく処置がすすんだあと、二人の助産師さんがザワザワとあわただしくなりました。
そして、感覚がないなりに(触角は残ります)、産道から出血しているのだなとわかりました。
緊急コールが押されました。
すると間もなく、次から次へとたくさんの医療スタッフが入ってきます。
私は、結構落ち着いていました。
「日曜日の夕方(5時ごろ)なのに、さすがCHUV、こんなにたくさんのスタッフがいるのだなぁ」とのんきに思っていました。
私の胸の上の赤ちゃんは、ヘルプの助産師さんに抱きかかえられ、「赤ちゃんは向こうでパパと一緒に待っていますね」と行ってしまいました。
こんなことがなければもっとずっと一緒に入れたのに…。
最初に来た産婦人科医の男性医師(昼間に挨拶した)が、私の足の間に立っていた助産師さんに代わり、処置を始めています。
べチャッという音が何回もしていますので、やはり出血している模様です。
私は「またか…。」と思いました。
というのも、一人目のお産の時も同じことが起こったからです。
後産の時に、本来であれば、ツルんと出てくるはずの胎盤が、途中でちぎれて全部いっぺんに出てこないで、その破れたところから大量出血したのです。
これは、たまにあるお産の合併症です。
一人目のとき担当していた産婦人科医が(私と同年代でした)、オーベンにすごく怒られていました。
「なんで、ツルんと出せないの!こんなのできて当たり前でしょう!」と。
それとまったく同じことが2人目でも起こるとは思いませんでした。
でも、二回目も起こったということは、私の体質的なところもあるのでしょうね。
そう思うと、一人目のお産の時に怒られていた先生がかわいそうに思いました…。
というようなことを考えていると、別の医師が挨拶をしながら私の頭がわに近づいてきて、おなかにエコーをあてていました。
そして、足がわで処置をしている先生と相談しながら処置は進みました。
そのエコーしている先生が状況を説明をしてくれました。
でもその説明が可笑しくって、
「There are materials in the uterine」(子宮の中に物質がある)
って言うんですよ。
要するに、胎盤の遺残物がある、という意味だったのでしょうが、これだと、何か異物がある!というニュアンスに聞こえますよね。
私は、思わず「materials!?」と聞き返しました。
でも、まあ、胎盤遺残と言う意味だろうなとすぐに理解しました。
「それをすべて取り除くように今、努力していますよ」とも説明されました。
実際に、足がわの先生は、子宮に手を突っ込み、グルんぐるん手をまわして掻き出している様子でした。
(ここが日本での経験と少し違う。日本では、子宮の中から掻き出すのではなく、あくまでおだやかに一部をひっぱって、残った胎盤を引っ張り出していました。もちろん、両者で状況が違ったのかもしれません。今回の方が、より緊迫した状況で、急いで掻き出さなければならなかったのかもしれません)
それでもなかなか出血が止まりません。
日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(24)~ついに分娩~
私が思うに、(あくまでスイスの場合)、硬膜外麻酔用の麻酔薬には二種類あり、最初にショットで先生が打つもの、とあとで追加で患者が注入するもの。
これらは別の薬だと思うんですね。
先生がショットで打つものがもちろん効き目が強くて、患者が注入するものは安全な、効き目の弱い薬。
CHUVの決まりでは、子宮口4㎝開大になって初めて硬膜外麻酔を導入しますので、その後はだいたい10時間以内には出産が完了すると想定されているのだと思います。
そういう意味で、ショットの効き目はおそらく10時間程度。それに足りない分を注入役で補う、という感じだと思います。
私のように、促進剤を使ってもなおお産の進みが悪い人のことあまり想定してないのだと思います。
なので、麻酔の効き目が切れて、痛みが戻ってしまった。
ですので、麻酔薬の漏れが原因ではなかったと思います。
というのも、この二回目の硬膜外麻酔ショットのあと、さらに何時間もかかったのですが、子宮口が全開大になり、いよいよ産まれる!というときに、やはりまた麻酔薬が切れ始めたのです!!
一度目のことがありますので、もう一度ショットしてほしい旨を伝えましたが、子宮口全開大後は麻酔の適応はない、とのことで、耐えることに…!!
少し戻って、
二回目の硬膜外導入ののち、ふたたび痛みが消えて安堵して、また回旋異常補正のためにベッド上で大きなバランスボールに腹ばいになったりしていました。
日勤の助産師さんがかいがいしくお世話してくださる間には分娩に至りませんでした。
促進剤もずっと継続しているのにも関わらず。
でもこれは、まったく前回のお産と同じですから、私は驚きません。
準夜帯の助産師さんに引継ぎとなりました。
その助産師さんも英語ペラペラ。
特別に私に英語の話せる助産師さんを割り当ててくださっていたのだなと思います。
ところが、引継ぎの終わった直後に助産師さんが内診したところ、突如として子宮口全開大となっており、展退度も100%となっていることがわかりました。
助産師さん、慌てて分娩の準備をしだしました。
私も、慌てて砕石位となりました。
このころに麻酔が切れかけて、麻酔のショットをもう一度してほしいことを伝えましたが、前述の通り、ダメと言われました。
でも、もうここからは耐えるしかないと私も腹をくくりました。
なにせ、怒責だけはうまい、と東京の病院の産婦人科医の先生にも褒められた経験がありますから(笑)
私もなんとなくもう産まれるんじゃないかと思いました。
それでふんばってしまっていましたが、助産師さんが「まだ分娩の準備が整ってないから、いきんじゃだめですよ!」とストップがかかりました。
でも、こちらもそんな余裕はありません。
そして、赤ちゃんがどんどん降りてきているのがわかります。
赤ちゃんが出てくるところを今度こそは見たいと思い(前回お産の時は意識がもうろうとしてそれどころではなかった)、がんばって状態を起こして、下の方を見るようにしました。が、なかなかうまく見えません。
そうこうしているうちに助産師さんの準備も整い、いよいよ本格的にいきむことになりました。
そうして、3回目くらいのいきみでどぉうるんと頭が出てくる感触があり、それに続いて体もスルリと出てきました。
終わった―――。
赤ちゃんもすぐに元気いっぱいの産声を挙げて、本当に心から安堵しました。
そんな安堵もつかの間…。
最近みた動画~瀬戸の花嫁を歌う女の子~
日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(23)~地獄の痛み再び~
そして、麻酔導入から8時間ぐらい経過したころ、おなかがキリキリ痛むようになりました。
「麻酔の効きが弱いと思った時はこのボタンを押してくださいね」と言われていました。
自分で麻酔薬を注入することができます。
もちろんリミッターがありますので、単位時間当たり一定量までしか注入できないようになっています。
それを押していましたが、だんだん効かなくなりました。
「痛い・・・。」
体位のせいかなと、いろいろ体位を変えていました。
それまで饒舌にしゃべっていましたので、なかなか助産師さんにも言い出せませんでした。
もう、言わなくては、と思ったころには、ほとんど元の陣痛の痛みが戻ってきていてまったく身動き取れないくらいの痛みなっていました。
助産師さんが急遽麻酔科の先生を呼んでくださいました。
助産師さんも先生も「注入している麻酔薬がなんで効かないのかわからない」という感じでした。
麻酔注入部に貼ったシールに少し液漏れがあったようで、麻酔薬がちゃんと入っていないのかも、ということで、一度チューブを抜いて、入れ直しということになりました。
それで麻酔薬がまた戻るなら、ぜひそうしてほしいと思いました。
そしてチューブを抜いたのですが、今度は腰椎穿刺がうまくいきません!
先生が何度も刺しては、入らない、ということを繰り返しています。
私にも経験があります。
私は自分で言うのもなんですが、腰椎穿刺は得意な方です。
ほとんど失敗しません。
それでも脊椎(骨)に針が当たって、うまく硬膜に刺さらないということはあります。
特に子供は骨がまだ小さいので比較的たやすいです。
大人の方の方が骨にあたって失敗するケースが多いかと思います。
でもまさか、自分の腰椎がそんなに難しいと思っていませんでした。
確かに夜間の麻酔科の穿刺も何度か刺しなおしていました。
にしても、今回は何回刺してもうまくいかない。
側臥位での穿刺をやめて、座位になったりもしました。
それでもうまくいかない!!
これは困った!!
私としては、何回も刺されることは全くと言っていいほど苦ではありません。
何回も失敗すると、先生の方があきらめて「麻酔無しで」と言われるのを、最も恐れていました。
だって、手術の時などとちがい、この腰椎穿刺はマストではないですもん!
麻酔無しでお産する人もたくさんいるのですから!
「お願い、それだけは言わないで。何回刺してもいいから。」
と心の中で祈りました。
すると、最終的にうまく入ったのでした。
本当に安心しました。
そして、ショットの麻酔薬を注入してくださった後、また、痛みがすーっと消え、私の天国が戻ってきました。
日本の医師から見たスイスでの妊娠出産(22)~赤ちゃんがお星さまをみている~
麻酔導入後は、余裕がありますので、助産師さんと気さくに話したりすることができました。
朝方になって、日勤の看護師さんに交代になりました。
このとき、産婦人科の先生も来られて挨拶してくださいました。
にしても、CHUVでのお産の医療者側の主役は完全に助産師さん。
特に正常にお産が進んでいる間は、ほとんど先生は現れません。
日勤の助産師さんも英語がお上手でした(よかったー。)
麻酔が入っていますので、その助産師さんとも世間話がすすみます♪
いかに前回のお産が辛かったか、トラウマになったことなどを話しました。
朝になり、主人にはいったん家に帰ってもらいました。
父にみてもらっている娘のことが心配だったからです。
これも、麻酔をしたおかげです。
麻酔無しであったら、まさかあの痛みに一人で耐える自信は全くありませんでした(特に日本語の通じない状況で)。
麻酔中はなんなら、ウトウトして寝落ちするくらい、痛みから解放されていました。
おなかもすきますが、麻酔中は食べ物禁止。お水だけOKでした。
子宮口4㎝程度のときに麻酔を導入しますので、特に経産婦の場合、そのあと数時間以内に出産に至ることが想定されていると思います。
しかし、そうはすすまないのが、私のお産なのです。
やはり陣痛間隔は短くなっていかず、インダクション(促進剤)が始められることになりました。
日本だとインダクションはかなり慎重で、平日の日勤の時間のみ。
量も必ずそのつど医師の指示で変えられる、という感じでしたが、こちらでは日勤夜勤関係なく、そしてこの日は日曜日でしたが普通に導入され、増減も助産師さんの判断でされていました。
助産師さんにあたえられた権限の範囲が広いと思いました。
インダクションしてもなかなかお産はすすみません(前回同様)。
でもそれは、助産師さんが内診したところ、回旋異常があるからだとおっしゃいました。
赤ちゃんはお産が進むにつれて自分で頭を動かしたり、体を回転させて産道を抜けてきます。
これがうまくいかないと、難産になります。
本来であれば、横向きだった赤ちゃんが、’うつぶせ’になって(母のおなかの中で母の背中を向いて)、産道に進んでいくところ、’あおむけ’になって(母のおなかの中でおなかを向いて)しまっているのです。
それを、助産師さんは「赤ちゃんがお空の星をみていて、お産が進みにくいみたいですね」とおっしゃいました。
なんてメルヘンな表現だ、と思ました。
「回旋異常」よりぜんぜんメルヘンで素敵ですね(笑)
回旋異常を直すために、分娩台の上に大きいバランスボールを置いて、その上に腹ばいになって乗るように言われました。おなかのでかい妊婦が分娩台の上のバランスボールに腹ばいで乗るって…。なかなかリスキー^^;
しかもそこでウトウトしてしまう私でした。